Kotobanoyukue

自分が何者か忘れぬように

女はアングラ道を走れない理由

「こじらせ女子」という秀逸な言葉を生み出した雨宮まみの本を最近始めて読んだ。私自身はなんとたく女であることを楽しみ謳歌しているタイプかなーと思っていたけど、やっぱり女はしんどいよなと改めて認識。若くない女はもっとしんどいよなと。

小島慶子あたりもよくいっているけど、日本では「女」は若いことが絶対的正義であり、「若さ」のない女は「女」ではない。別の生物となるので、それを自分自身で定義しなければいけない。

たとえば

「既婚子持ちの輝くワーキングマザー」
「稼ぐ夫をもつお気楽専業主婦(あくまで他者から見て)」
「独身で仕事に邁進するキャリア第一女子」
「ゆるゆるお一人者生活を謳歌するほっこり女子」。

女は常に周囲の人間から「で、あんたはいったい何者なの?」と、無言の詰めがある。若いうちは「若さ」という超・超客観的な記号があるので説明不要。女は30を過ぎたら、真実はどうであれ、他者を納得をさせる説明責任が生じるのだ。「ああ、あなたはこういう人なんですね」って。

この「相手の安心感のために自分の記号を提供しなければならない感」、男性にはわからないと思う。記号を提示せずにいると周りからあれこれいらぬ勘ぐりを受ける。派遣なのに毎日外でランチして金回りがいいのはなんで?とか、優しすぎる性格はなんかやましいことがあるから?宗教?とか。男性は「ああ、あの人、変人だから」(終了)で済ませられるのにね。不公平だ。


私は既婚&子持ちなので、周りを納得させる上っ面のストーリーをもっている。はっきりいってこれはめちゃくちゃ楽チンなのである。でもその一面、窮屈でもある。ひと昔前、女は結婚したら「○○ちゃんのママ」と呼ばれるので寂しいという話があった。これと根っこは同じなのかもしれない。

結局呼び名がいくつかあろうとも、私は「女」としてのキーワードがある限り、仕事があろうが、専業主婦であろうが、士業であろうが、誰かさんの想定にズレた言動があれば、石を投げられると思っている。石投げられたこともあるし。

雨宮まみさんは「女であること」と、「自分らしく生きること」のバランスがうまくとれずに、苦しんだ人だと思う。雨宮さんほどの実績があっても苦しいのだ。そういえばオノヨーコも女であることに苦しんだという。これは女特有の被害妄想ではないと思う。表舞台に決してでない私でもしんどい。見えない敵と戦っている。

記号らしくない生き方をするには、相手を力でねじふせるか、あれこれわれても意に関せず!のスタイルを貫くしかない。どうして自分らしく生きたいだけなのにこんなにしんどいのだろうね。


続く