Kotobanoyukue

自分が何者か忘れぬように

離婚しない理由

最近夫との離婚を真剣に考えた。現実的に考えれば考えるほど、離婚はハードモードだ。私1人ならしょぼい手取りでも生きて行ける。ネックはやはり子供だ。 


娘にはイージーモードの人生を歩んで欲しい。それには子供から思春期にかけてしっかりと自己肯定感を養い、矛盾だらけの世の中をグラウンディングして生きる力をつけることが必要不可欠だと思う。それには金と両親からの愛はマストだと考える。1人になった私はどちらも娘に十分に与える自信はない。


100パーセント親のせいにはしないけど、私は世の中をグラウンディングの力がない。矛盾へのスルー力も欠けている。へとへとになりながら失点のないように取り繕いなんとかギリギリ、普通の顔をして生きている。


テレビで甲子園をみてると、自分の母校の勝利を信じて声を上げている学生がいる。私の思春期にはない姿。そしてかつて自分が一番みっともないと思ってた姿。学校や教師に歯向い、素行不良で皮肉ばかりいってたさえない青春時代を思い出す。グループに属している人間は、個性のない人間たちのダサい傷の舐め合いに見えた。そして今の私はどうか?幸せではない。しかし、自分のこれまでの愚かさや傲慢を恥じている反面、ビッグダディ的思想「俺は俺だ」のこだわりからも抜けられない。


娘には甲子園で声を張り上げる側の世界の人になってほしい。自分の属性に自然と愛着や誇りを持てる人間に。私はそれができなかった。生まれた故郷も嫌い、愛校心もない、コミュ力もない、頭の回転も悪い。そして世の中を皮肉る癖も毒舌もいまだやめられない。この自分の思考回路が不幸の元凶だと気付きながらも。