Kotobanoyukue

自分が何者か忘れぬように

ウェアラブルEXPO 2017の感想

備忘録。今年の1月にウェアラブルEXPOに行った。最新のウェアラブル端末から、IoT、AR/VR技術、最新ウェアラブルバイス開発のための部品・材料など、ウェアラブルに関する商品をみることができた。私はメカにはめっぽう弱いのだが、それでも感じることがたくさんあった。最新のものは何でも触れて損はない。表参道で髪を切るのと同じだ。

がっちり管理社会は進む

エキスポの感想を一言でいうと「管理する」被支配者の都合の良い社会が進んどるな~に、尽きる。たとえば、巨大倉庫の作業員がどこの棚に何秒作業しているか、ひと目で把握できる空間情報システム。当然、作業員の移動履歴も残るので、人員の配置(削減)を効率的に検討する材料になる。今でもGPS機能を使えば簡単に人の位置を捉えられるが、3D(たとえば何階にいるか)をひと目でわかるシステムは珍しいのだろう。正直怠け者の自分としては、このシステムは恐怖しかない。より“管理されない人材”になるためにスキルを磨き続けないと、より家畜に近づくのだろう。私の世代的にギリギリセーフかもしれないけど、今の子どもが社会に出るときは、管理者と家畜の二極化が進んでいるのだろうと思った。

サービス業の高級化

ホスピタリティがさほど求められないファーストフードなどのサービス業は、どんどんロボ化が進むと予測されている。この流れから、生身の人間を介する体験の希少価値が高まるんだろうなと感じた。

たとえば
三越のような高級デパートは、庶民には行けないようになる(今の外商員みたいなかんじ)
・匠の技を持つ、寿司職人がいる飲食店などは、さらなる付加価値が生まれる(高級寿司or回転寿司の2択が進む)
・人間に介護してもらえるのは、お金持ちだけ。
・風俗業のスキルアップ。かわいいだけじゃ客を取れない。

より人間に近いロボット

今回私が注目したのは、やわらかいロボットや弱いロボットだ。たとえば、公園などを巡回する警備ロボット。やわらかい素材でできているので、人とぶつかっても痛みがなく、あえて弱々しそうな外見にデザインすることで、子どもを怖がらせなることがない。日常生活に入り込んでくるロボットは、より外見的にも触感的にも、人間が親しみやすい「生き物」に近づけられることが求められている。

それっていろいろ大丈夫なのか?

「弱いロボット」を見ながら、私はこんなエピソードを思い出した。イスラエルの集団農場キブツで、より「合理的な子育て」を求めて、複数の家族が時間を分担して乳幼児の世話をしていた。しかしこれの弊害が、彼らが大人になったとき、対人関係が不安定になりやすくなったらしい。自動化・合理化が進んでも、人間は愛情や愛着行動を必要とする。技術革新により、一時的にそれらが満たせたように見えても、じわじわと人間の脳(情緒)に悪影響を及ぼすのかもしれない。いや、絶対おかしくなる。

我が子がロボットに支配されないために

私は一応、人の親なので、子どもがロボットに支配されないために、下記のスキルを身につけさせたいと感じた。英語なんかじゃない。絶対的な人間力だ。

・生身の人間と会話する力(Liveであること)
・運動をすること(体を鍛える)
・実際に触れること(触感)
・人を愛すること(思い通りにならない)
・自分の頭で思考すること(家畜にならないために)

つくづく私は黒電話の時代に幼少期をまったり過ごせて良かったと思う。

 

余談(下ネタ)

東京MXの「5時に夢中」の番組内で、VRを用いたアダルトグッズが注目されていることを伝えていた。岩井志麻子「(スケベな私は)1周回って、畳の上のせんべい布団でやる正常位が一番だと思っている」と、コメント。つかさず中瀬ゆかり「そういうVRも出てくるかもしれないね」と返した。志麻子の変化球に対する中瀬ゆかりの反射神経は半端ない。ブスは余計で興奮するとか、おっさんのねちこいのがいいとか、世の中いろんなニーズがあるからね。深く考えさせられました。