Kotobanoyukue

自分が何者か忘れぬように

【日常】dokidoki厄払い

厄払いにいってきた

AM10時。地元の寺で贅沢な厄払いをしてきた。これまで私は厄払いといえば、西新井大師など超人気厄払いスポットまで足を運んできたが、そこではお堂には数百人寿司づめ状態。おまけにシステマチックなタイムスケジュールがあり、30分ごとに人を入れ替える。このあまりに自由度が高く、色気のないシステムに若干辟易としていたのだった。

 

地元密着型の寺を見直そう

最近、近所にお気に入りのお寺を見つけた。地元密着型のこじんまりして清潔なお寺。私がお参りに行くと、よしながふみの漫画に出てきそうな若い僧侶が、祈り方などを熱心に教えてくれた。私は来年はここで厄払いしようと密かに心に決めていた。この寺の厄払いのどこが贅沢って、お堂の中には私と僧侶しかいない。私はよくyoutubeで瞑想用にマントラを聞いているが、生のお経はライブ感が全然っ違うのだ。アリーナ最前列で聞く浜田省吾のライブをしのぐ感動だ。なんせ1・5メートルの距離なんだから。

 

 圧倒的なライブ感

彼(僧侶)がロックミュージシャンなら、「今日は、お前のために歌います」と、恋人をステージに上げるかんじ。彼に手を引かれはにかむ私。泣き叫ぶバンギャルたち。僧の息遣い、耳の中で響く磬子(きんす)の音。2枚の木札を打ち鳴らしながら振り回すので、木札が空を切る振動を頬に感じた。バカで承知でいおう。 私はブツブツお経を唱えながらも、頭の中は煩悩に満ちていた。祈祷料を収めているとはいえ、私のためにここまで大声を張り上げて、耳元でカツカツカツカツカツ木札を打ち鳴らしているなんて、動物とか昆虫なら求愛活動ですよね?

 

いったい私の厄(とくに色難)は祓えたのでしょうか。