Kotobanoyukue

自分が何者か忘れぬように

バーに求めること

私には定期的に顔を出すバーがある。コの字型で10人入れば満席になるお店。私はアルコールがないと人の目を見て話せない自意識の塊のような人間なので、酒がそこそこ入っていないといけない。かつ自分の門限がない日しかいけないので、滅多に顔は出せないのだけど。

いつもお酒&音楽が好きな老若男女で賑わっているが、もれなくみんなそこのマスターを慕っている(バーはそういうとこだけど)。そこのマスターは、コミュ力が半端ないので、私は彼の仕事ぶりを見にきているようなところもある(勉強になるから)。お酒も音楽もおまけに感じる。場を調整する力と、知己に富んだトーク力。高級ホステスも顔負け。また彼は、「お客さんがひっそりと自負しているポイント」を絶妙なタイミングで、第三者に伝える天才なのである。自分にそのボールが投げられると、酔った頭で「のせられてたまるか」と思う。でもどこかでそれを言われて喜んでいる自分がいる。そのうちでいい気になってデカい夢や最近聞きかじった時事ネタなどを語りだし始めると、私の財布から千円札が消えるスピードが上がる。酒の席の戯言なんてリアルの世界の充電にもならない。翌日、頭痛と寝不足でむくんだ顔で会社に行く。飲酒の無意味さと昨夜のハイテンションに後悔しながら。それでもまたそのうち同じバーの戸を叩く自分がいる。でもバーってそういうところだよね。カウンセリングに5千円払うのも、飲酒に5千円払うのも得られるものは対して変わらない、二日酔いがないだけカウンセリングのほうがましか。

アニメ「クッキングパパ」の新しさ

Amazon Fire TVで「美味しんぼ」が見終わったので、最近「クッキングパパ」を見始めた。なんと1985年から連載が始まり、今も連載中という長寿漫画。アニメは92年に放送されたという。当時小学生だった私は、ファミリーアニメが苦手なのに加え、博多が舞台というのもどうもそそらず、見たことがなかった。それが今、めちゃくちゃハマっている。

斬新な設定は今でも結構斬新

当時は、「キャリアウーマンの母、家事育児(とくに食事作り)の一切担う父」という設定が斬新だったらしい。4半世紀経った今でも、こんな夫婦がほとんどいないのが、ちょっぴり悲しい。このデータを見ても、両親ともにフルタイムの場合、食事を作るのは主に「妻」なようである。うちはスーパーの総菜、オリジン様様なので、父母どっちもやっていない(爆)

SUUMOジャーナル調べ、 2016年「フルタイム夫婦の家事分担、実態アンケート」男女(n=300)

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今の時代とたいして変わらないところ

○共働きでがんがん料理する男性は珍しい。
→娘が都心の保育園に通っているが、私の周りでパパで日常的に料理しているのは、1割ほど。
注:スパイスにこだわった男のこだわり料理的な人はわりと見る。片付けはしないので奥さんに嫌がられている上、おいしさに同調を求めるので、家族は若干辟易している。

→こどもがいる場合、よっぽど奥さんの稼ぎが良くない限り、妻が家事を多く分担するのが多数派。(稼いでは欲しいけど、家事ができるキャパを残してほしいっていうのが、既婚男性の本音じゃないでしょうか…)※とくに団塊×専業コンボの息子はできない人が多い(そうじゃない人すみません)。

今の時代とかなり変わったところ

○OLが、堂々と取引先の人間にセクハラをされている。
→今なら、人生棒に振る可能性も。
○独身女が既婚のイイ男にポーッとする。
→「これは本当にこども向けのアニメだろうか」と言いたくなるくらい、夢子ちゃんが不倫願望をむき出し。今の若い子のほうがもっと地に足を着けて生きているような…。
○田中みたいな仕事のできない人間が会社にいる。
→牧歌的な時代の象徴。こんなふざけた社員がのうのうと会社生活を謳歌しているのを、私は見たことがない。
○アルコールを飲むシーンが多い。酒乱に甘い。
→成人は「酒が飲める」前提。
○パチンコに甘い。
→今なら炎上ですな。

これらはアニメ版「美味しんぼ」にもあるあるシーンです。妙齢の女性への「結婚はいつ?」いじりも普通にある。職場が職場なら降格もありえる(それも窮屈だよね)。

まとめ

当時に比べ今は、性的ハラスメント・酒・喫煙には劇的に厳しくなりったが、家庭内における女性の労働改善はたいして進んでいないように見える。

未来を見据えて新しいファミリーアニメを考えてみた。

○シェアハウスで子育てする男女
…phaさんのような「会社で働きたくない」男女が住まうシェアハウス。そこに住む女性(アルコール依存症)が、同じシェアハウスの男とはずみでセックスをして妊娠。ぐだぐだ悩みながらも、出産。母親がネグ(男は蒸発)で、見るに見かねてシェアハウスのダメ人間達が立ち上がる!こどもの成長、そして育児参加を通じて社会に関わるダメ人間たちのゆる~い成長を描くホーム&ヒューマンアニメ。目標は「こどもをリア充に!」。

なんてどうでしょうか、

スメルハラスメントとセックスレスの相関性

会社に何人かワキガがいる。その人間の半径1.5メートルくらいは腐海のごとく瘴気に満ちている。私は息を止め「南無三!」と通り過ぎる。私は結婚前はよくクラブに行ったが、クラブは基本的に汗をかく場所かつ外国人が多いので、度々ワキガ野郎と遭遇する。機嫌よく踊っているときに、ワキガ野郎の存在をキャッチすると、一気に落ちて絶望的な気分になったものだ。

私は元々おそらく人より嗅覚がやや鋭い。しかし最近、この嗅覚の鋭さに磨きがかかってきたように思う。生理中、もしくは生理前後の人のニオイもキャッチできる。中年男のノネナール臭(加齢臭)はもちろん、新陳代謝が活発な20代女性の、獣のような疲労臭も拾う(「うーむ若い」と思う)。また、日々満員電車に揺られているので、いろいろなニオイをかいでいる。何も自分のこと棚上げにしてるわけではない。私は汗かきだし、体臭もある。特に生理前はニオイがキツくなるので、常にファブリーズとデオドラントを持ち歩いている。うちにもファブリーズが3本くらいある。

私は自分のニオイにいろいろ敏感になったのは、セックスレスが原因だと考えている。片手じゃおさまらない年数、私たち夫婦は営みをしていない。そして世の中のデオドラント意識が異常に向上しているのは、セックスレス増加が背景にあるように思う。外国人がワキガ全開で平気でいるのはお国柄もあるけど、そのぶん「アッチ」はお盛んなんじゃないのかなと。

セックスはニオイに満ちている。肉体と肉体のぶつかり合いでぼとぼとしたたる汗、体液、唾液。。。これを日常的に嗅いでいる人は人間のニオイにも鈍いというか、寛容になれる気がする。そしてそれこそがまっとうな気がする。人間はニオイを発する生き物だから。

セックスは「ニオイを発する自分を(相手に)受け止めてもらう」行為だ。セックスを介して、自分の肉体に肯定感が得られるような気がする。私は正直、自分の出す体臭を受け入れられないし、相手の体臭も受け入れられない。

世の中、いろんなメーカーが男のニオイケア商品に注力している。「夫が臭い!」と嘆く女性も増えている。私、「夫が臭い!」って嘆いている人って、もれなくセックスレスだなんだと思ってる。セックスレスが先か、夫が臭くなったのが先か…それはわからんけども。この先、私の嗅覚はまだまだ向上するポテンシャルがありそうだ。でも正直、いらん能力だと思う。

「祈ります」とかいってる安倍昭恵氏はずるい

騒動になる前から安部昭恵の奔放っぷりに驚いてた。「総理夫人が、こんなとこ顔出す!?」(思想的なものも含め)という超マイナーな講演に顔を出していたことを私は知っている(三宅洋平関係ではなく)。彼女はあくまで私人として人と人をつなぐのが自分の仕事と自負していたらしいが、それはあくまで安倍晋三の権威があってこそ。それを、彼女は理解していたのだろうか。

 

彼女は生粋のお嬢であり「困った人には手を差し伸べましょう」みたいな「いかにも聖心らしい教育」を受け、そのまま大人になったような人だと私は認識している。無警戒でスピリチュアルなお嬢様が籠池氏みたいなチンピラにほだされた。森友問題は起こるべくした起こったのだ。そこで夫人のコメント「祈ります」はずるい。(たとえ、周りに「おまえはしゃべるな」と言われていたとしても)

 

自分がいつでもきれいなところできれいなものだけ見ている。ノブレス・オブリージュ気取るのもいい加減にしてほしい。お目出度いボランティアおばさんの最強権力者バージョン。人と人をつなぐことに、どれだけ責任感を伴うか、自分が周囲にどれだけ影響力を及ぼすか理解していない。自由に生きたいなら、自分のケツ、自分でふけ。もっと極端にいえば、安部と別れろ。優秀な補佐を置け。人間、間違うことだってある。彼女がとった軽率な行動は、取り返しがつかない過ちだと私は思わない。でも権威と思想のいいとこどりなんて、そうは問屋が卸さない。

30代初見の「トレインスポッティング」の感想

30代初見の「トレインスポッティング」の感想

私は思春期の頃、この類のオサレムービー(「時計仕掛けのオレンジ」とか)にアレルギー反応を起こす質だった。当時は若気の至りで、似非サブカル野郎叩きに熱中していたのだ。「似非」を暴くことに必死で、ほころびを見つけては「正体見たり!」と、喜んでいた。(「オモコロ」出身のサレンダー橋本「恥をかくのが死ぬほど怖いんだ」で、まさに私みたいな若者が出てくるんだけど、「この感覚って今の若者でもあるんだ」~と感慨深くなった)。

 

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恥をかくのが死ぬほど怖いんだ。 (小学館クリエイティブ単行本)

恥をかくのが死ぬほど怖いんだ。 (小学館クリエイティブ単行本)

 

 それから20余年。就職し、結婚し、人の親となり・・・今の私なら、かつての「中二」な拒否感も緩和されたかなと思い、ついにトレスポを鑑賞!

 
…うん、やっぱりおしゃれだった。

この映画が流行っていた当時は、この映画のジャケがプリントされたTシャツを着ている人をよく見かけたが、鑑賞後、「ジャケに偽りなし」と、感じた。「若者・ドラッグ・暴力・セックス・刹那・怠惰・おしゃれ」うへぇ。げっぷがでる。そういう意味では、パケにいつわりなし。

薬物依存症を悲惨に描かない違和感

私は身近に薬物依存症がいたので、ドラッグムービーの見方が独特なんだけど、この映画からは「ヘロインの怖さ」が、まったく伝わらなかった。「そもそもそういう啓蒙映画じゃねーから」っていうのは大前提であるんですけど。にしても、「トレスポ」におけるヘロインの描き方は、軽いんです。この映画全体を通していえるのだけど、薄汚い現実を気取って描きすぎて(赤ちゃんがネグレクト死する)、美しいもの(ヘロから得られる多幸感)を、薄汚く描きすぎなように感じました。この「オシャレなウソ」の空気感は、この映画全体を覆っている。15歳の時、映画のジャケを見て感じたモヤッと感は、20年越しに鑑賞した今も変わらなかった。

金縛り体質からの明晰夢、そして死後の世界

 

わかりやすい!絵で見る「死後体験」

わかりやすい!絵で見る「死後体験」

 

 私は最近、学生の頃買ったこの本を最近読み直している。死んだらどこにいくのか、私は昔から関心がある。

死に関心を持ったきっかけ

私が「死のような体験」をしたのは、高熱を出した3~4歳の頃。なぜか一人で縁側のある和室で寝かされていた。壁には、妙に照りのあって生々しいウミガメのはく製。天井は人間の目のような木目があって、私はそれが怖くて仕方なかった。たぶんのどが渇いていたとか、不安な気持ちがあったかとかで、私は母親を求めていた。しかししばらくたっても母が来る様子がないので、私は起き上がり古い日本家屋の長廊下を歩きながら母親を探した。しかし、歩いても歩いても母親のいるであろう居間にはたどり着かない。そしてなぜか廊下の床が赤茶色のマーブル模様でぐにゃぐにゃしていた。私は廊下をはいずるように移動する、寝室に戻るを繰り返した。その翌日、私はおねしょをしていた。今思えば、あれは金縛りだとか、幽体離脱の一種だった気がする。

思春期の不思議体験

ありきたりだが、私は思春期の頃から、よく金縛りにあって幻覚(夢)を見た。今でもはっきりと覚えているのが、中1の夏休みのとき。姉の部屋で昼寝をしていた私の耳に急に、仏具がチンチン鳴る音と僧侶の経を唱える声がわんわん頭の中で鳴り出した。金縛りにあったのだ。「こわい!やばい!解きたい!」と、やっと思いで目を開けると、後姿のスーツを着た男が目の前に立っていた。そしてこちらをゆっくり振り向きながら「ようこそ」みたいに、私に向かって手を広げた。その男は、なんと首から上がなかった。全身が恐怖に支配され「殺される!」と、思った瞬間、金縛りが解け、本当に目を覚ました。その後、成人してもよく金縛りにあったが「はいはい、幻覚乙」みたいな感じで、スルーすることを覚えた。

そして明晰夢にはまる

大学生~新社会人の頃にかけて、私は金縛り体質を逆手にとった「明晰夢」にはまりだした。明晰夢とは、自分で夢であることを自覚しながら、思い通りに行動することである。金縛りにあうと、自分の頭に浮かんだことが実現することに気づいたからだ。思春期の頃は金縛りを恐怖を感じていたので、それらがお経や、首なし男、体にのしかかられる、といった体験として現れた。でもいつのしか、それらは自分の頭で作り出したことに気づいたのだ。「あいつは来る!」と思えばくる。「呻き声をあげる!」と思ったらうめき声が聞こえる。私の想念がカタチになってただ現れているだけ。そしていつしか、金縛りにあった私は「これはチャンス」とばかり、「ザ・タッチ」の「ゆうたいりだつ~」よろしく、体を抜け出し(成功率は低い)、空を飛ぶことを覚えた。しかし、明晰夢ビギナーの私は、「想念」が足りず、低空しか飛べない。まさにドラゴンボール孫悟空状態。空を飛ぶイメージが強くないと、高く上がれず、地面に落ちそうになるのだ。でも調子のいい時は、夜のビル群を眺めながらフライングを飛んだ。もちろん、助べえな私は明晰夢をいやらしい妄想にも利用した。でも、挿入までいっても、最後まではイケない。イクことに執着して「あかん時間がない!」と、焦りだすと、必ず目が覚めた。私はここを極めれば、これから開発が進むであろうVRエロなんてぴょーんと超越すると思っている。そのうち、私は睡眠薬ユーザーになったので、眠りが深くなり、明晰夢から遠ざかっている。

で、私の考える死とは

私は今、自分が死んだら、きっとこの明晰夢に似た状態が続くのだろうと考えている。私のような欲深く執着の強い人間は、いわゆる「いいところ」には行けず、‘何か’に囚われ続け現実世界と近い四次元をさまよっているだろう。低空飛行を飛びながら、薄い頭で気持ち良く生きる方法を模索しているのだろうと思う(今と変わらんやん…ってゆう)。

漫画家の山岸良子は「自覚のない死人」「執着が強くてこの世とあの世の世界をさまよう死人」を描く達人である。死の世界に関心がある人は、これらの作品を読んでほしい。

 

・「化野(あだし)の…」(単行本「ブルー・ロージス」

・「時じくの香の木の実」(単行本「夜叉御前

・「朱雀門(単行本「天人唐草

・「着道楽」(単行本「鬼」)

 

彼女の作品はほぼすべて読んでいるので、時間があるときに解説を書きたい。

人生のあきらめどころはいつか。

年を取るということは、何は自分はできて何が自分はできないかということを精査する能力が付くということだと思う。私は30代の今、これの精査ができない。あらゆることが自分の手に届きそうな気持ちでいる。

 

私は今日、田舎の友人と久しぶりに長電話した。彼女は経歴や学歴、生まれみたいな、いわゆる親が与えられるスペック’は私と変わらない。そして彼女も、私に負けないくらい‘地に足がついてない‘痛い妄想家だったのに。

 でも彼女は私より、いろいろなことを精査できる能力を得たようだ。

昨年彼女の新築のお祝いに家を訪ねた。彼女はスシローの寿司と、セブンプレミアムのワインでもてなしてくれた。これは私には衝撃だった。なんか「地に足がついて生きている」感じがしたからだ。この感想を彼女に伝えたら、彼女は「私はだんだん自分の生きる道が分かってきたのだ」と答えた。

友人夫婦そろってお堅い会社に勤め、郊外に新築を購入している、かたや私たち夫婦は収入ギリギリまで浪費に費やして生きている。地に足をつけて生きる暮らし、私はできていない。

 

東京は選択肢が多い。だからいつまでもチラチラと可能性が目を掠める。友人は言った。「選択肢がなかったら夢見れないで済むよ」そして「私が夢を見なくなったのは、頭を使うようになったからだ。自分の人生のゴールを描けないやつに平穏はない」と。私はまだいろいろあきらめられない。ずっとぐだぐだ言いながらぐだぐだぐだぐだ育児しながら、働いている。いつかはっと目が覚めて見極められるのかな。それとも時間が気づかせてくれるのかな。‘自分ができることと、出来ないこと‘を。

 

私の好きな言葉。冷蔵庫にも貼っている。

(ニーバーの祈り)

神よ

変えることのできるものについて、
それを変えるだけの勇気をわれらに与えたまえ。
変えることのできないものについては、
それを受けいれるだけの冷静さを与えたまえ。
そして、
変えることのできるものと、変えることのできないものとを、

識別する知恵を与えたまえ。

 

 

好きなのに私はまだ、この言葉を会得できない。