Kotobanoyukue

自分が何者か忘れぬように

金縛り体質からの明晰夢、そして死後の世界

 

わかりやすい!絵で見る「死後体験」

わかりやすい!絵で見る「死後体験」

 

 私は最近、学生の頃買ったこの本を最近読み直している。死んだらどこにいくのか、私は昔から関心がある。

死に関心を持ったきっかけ

私が「死のような体験」をしたのは、高熱を出した3~4歳の頃。なぜか一人で縁側のある和室で寝かされていた。壁には、妙に照りのあって生々しいウミガメのはく製。天井は人間の目のような木目があって、私はそれが怖くて仕方なかった。たぶんのどが渇いていたとか、不安な気持ちがあったかとかで、私は母親を求めていた。しかししばらくたっても母が来る様子がないので、私は起き上がり古い日本家屋の長廊下を歩きながら母親を探した。しかし、歩いても歩いても母親のいるであろう居間にはたどり着かない。そしてなぜか廊下の床が赤茶色のマーブル模様でぐにゃぐにゃしていた。私は廊下をはいずるように移動する、寝室に戻るを繰り返した。その翌日、私はおねしょをしていた。今思えば、あれは金縛りだとか、幽体離脱の一種だった気がする。

思春期の不思議体験

ありきたりだが、私は思春期の頃から、よく金縛りにあって幻覚(夢)を見た。今でもはっきりと覚えているのが、中1の夏休みのとき。姉の部屋で昼寝をしていた私の耳に急に、仏具がチンチン鳴る音と僧侶の経を唱える声がわんわん頭の中で鳴り出した。金縛りにあったのだ。「こわい!やばい!解きたい!」と、やっと思いで目を開けると、後姿のスーツを着た男が目の前に立っていた。そしてこちらをゆっくり振り向きながら「ようこそ」みたいに、私に向かって手を広げた。その男は、なんと首から上がなかった。全身が恐怖に支配され「殺される!」と、思った瞬間、金縛りが解け、本当に目を覚ました。その後、成人してもよく金縛りにあったが「はいはい、幻覚乙」みたいな感じで、スルーすることを覚えた。

そして明晰夢にはまる

大学生~新社会人の頃にかけて、私は金縛り体質を逆手にとった「明晰夢」にはまりだした。明晰夢とは、自分で夢であることを自覚しながら、思い通りに行動することである。金縛りにあうと、自分の頭に浮かんだことが実現することに気づいたからだ。思春期の頃は金縛りを恐怖を感じていたので、それらがお経や、首なし男、体にのしかかられる、といった体験として現れた。でもいつのしか、それらは自分の頭で作り出したことに気づいたのだ。「あいつは来る!」と思えばくる。「呻き声をあげる!」と思ったらうめき声が聞こえる。私の想念がカタチになってただ現れているだけ。そしていつしか、金縛りにあった私は「これはチャンス」とばかり、「ザ・タッチ」の「ゆうたいりだつ~」よろしく、体を抜け出し(成功率は低い)、空を飛ぶことを覚えた。しかし、明晰夢ビギナーの私は、「想念」が足りず、低空しか飛べない。まさにドラゴンボール孫悟空状態。空を飛ぶイメージが強くないと、高く上がれず、地面に落ちそうになるのだ。でも調子のいい時は、夜のビル群を眺めながらフライングを飛んだ。もちろん、助べえな私は明晰夢をいやらしい妄想にも利用した。でも、挿入までいっても、最後まではイケない。イクことに執着して「あかん時間がない!」と、焦りだすと、必ず目が覚めた。私はここを極めれば、これから開発が進むであろうVRエロなんてぴょーんと超越すると思っている。そのうち、私は睡眠薬ユーザーになったので、眠りが深くなり、明晰夢から遠ざかっている。

で、私の考える死とは

私は今、自分が死んだら、きっとこの明晰夢に似た状態が続くのだろうと考えている。私のような欲深く執着の強い人間は、いわゆる「いいところ」には行けず、‘何か’に囚われ続け現実世界と近い四次元をさまよっているだろう。低空飛行を飛びながら、薄い頭で気持ち良く生きる方法を模索しているのだろうと思う(今と変わらんやん…ってゆう)。

漫画家の山岸良子は「自覚のない死人」「執着が強くてこの世とあの世の世界をさまよう死人」を描く達人である。死の世界に関心がある人は、これらの作品を読んでほしい。

 

・「化野(あだし)の…」(単行本「ブルー・ロージス」

・「時じくの香の木の実」(単行本「夜叉御前

・「朱雀門(単行本「天人唐草

・「着道楽」(単行本「鬼」)

 

彼女の作品はほぼすべて読んでいるので、時間があるときに解説を書きたい。

人生のあきらめどころはいつか。

年を取るということは、何は自分はできて何が自分はできないかということを精査する能力が付くということだと思う。私は30代の今、これの精査ができない。あらゆることが自分の手に届きそうな気持ちでいる。

 

私は今日、田舎の友人と久しぶりに長電話した。彼女は経歴や学歴、生まれみたいな、いわゆる親が与えられるスペック’は私と変わらない。そして彼女も、私に負けないくらい‘地に足がついてない‘痛い妄想家だったのに。

 でも彼女は私より、いろいろなことを精査できる能力を得たようだ。

昨年彼女の新築のお祝いに家を訪ねた。彼女はスシローの寿司と、セブンプレミアムのワインでもてなしてくれた。これは私には衝撃だった。なんか「地に足がついて生きている」感じがしたからだ。この感想を彼女に伝えたら、彼女は「私はだんだん自分の生きる道が分かってきたのだ」と答えた。

友人夫婦そろってお堅い会社に勤め、郊外に新築を購入している、かたや私たち夫婦は収入ギリギリまで浪費に費やして生きている。地に足をつけて生きる暮らし、私はできていない。

 

東京は選択肢が多い。だからいつまでもチラチラと可能性が目を掠める。友人は言った。「選択肢がなかったら夢見れないで済むよ」そして「私が夢を見なくなったのは、頭を使うようになったからだ。自分の人生のゴールを描けないやつに平穏はない」と。私はまだいろいろあきらめられない。ずっとぐだぐだ言いながらぐだぐだぐだぐだ育児しながら、働いている。いつかはっと目が覚めて見極められるのかな。それとも時間が気づかせてくれるのかな。‘自分ができることと、出来ないこと‘を。

 

私の好きな言葉。冷蔵庫にも貼っている。

(ニーバーの祈り)

神よ

変えることのできるものについて、
それを変えるだけの勇気をわれらに与えたまえ。
変えることのできないものについては、
それを受けいれるだけの冷静さを与えたまえ。
そして、
変えることのできるものと、変えることのできないものとを、

識別する知恵を与えたまえ。

 

 

好きなのに私はまだ、この言葉を会得できない。

鴻池元大臣の老害臭には寒気がする

森友学園の問題で、鴻池元大臣がテレビにちょくちょく出ている。森友学園の理事長が、この議員に土地を安く貸してほしいと働きかけたという話。この問題はともかく、この鴻池とかいうおっさんの芝居がかった会見に寒気がした。まだこんな昭和脳なおっさんが現役議員なのか。

このおっさんの取材の一部。あまりに印象に残ったので書き起こしてみた。

「私としても、長年政治やらしてもらってるけど、とにかく金の関係とか不動産の関係とか大嫌い。俺のところ不動産屋違うから帰れとゆう話になるわけですよ ~略~ (籠池氏は)夫婦で来たように思います。籠池さんと奥さんと。紙に入ったものを『これでお願いします!(頭を下げながら、演技がかった声で)』ゆうて、おばはんのほうが(おばはんて・・・)。

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一瞬で金だとわかりました。だからそれをとって『無礼者!(金を投げ返すアクションが入る)』といったんです。『男の面、銭ではたく 政治家の面を銭ではたく そんなん教育者と違う。帰れ!』と、私は委員会室に戻りました。ただ、それが金があったかコンニャクであったか、てんぷらかかまぼこかウイロウか知らん(寒い。銀座とかキタのおねえちゃんにはウケんのか?)。確かめてへんから。だから『あれはコンニャクでした』と言われたらそう思わざるをえない(くどいわ)

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しかし、現実として私が手に持って投げ返したんだから金を投げ返すアクションが入る~~おばはん泣いて出しよったんやそれを。『オオオ~(ババアの声を熱演)』って泣いて出しよったんや。気持ち悪いやろ(気持ち悪いのはおまえだ)

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くそっと思って投げ返したけど金を投げ返すアクションが入る、歩きながら俺は今までの人生でこんな汚物を投げられたようなこと初めてだけど、反省しようと。それは、俺に、貫録と、それと徳がなかったんだと。こいつなら金で動くかもしれんということが腹立ったけど、それは俺が徳がなかったんやと(はいはい)だから安倍さんも奥さんも気の毒や。のせられたんですよ(結局それが言いたかったんかいw)。だから今回の件は『野党がんばれ』や俺は。学校作らしたらいかん。生意気ゆうな。あんなの教育者にしたらいかん」

 

とにかく言葉のチョイスがいちいち勘に触る。傲慢、保身、男尊女卑。都はるみの「浪速恋しぐれ」(芸のためなら女房を泣かす~せやかせ みんな芸のためや~ってやつ)を名曲だと思っていそうな感性。

このおっさんのしゃべりを見ていると、ブルゾンちえみじゃないけど、私の細胞が「女の敵!」と騒ぎはじめる。ウィキペディアで見たら、このジジイ女性問題4回もやってるやん。やっぱな。まだイクメン宮崎のほうがかわいげあるわ。

 

※追記:久坂部羊の小説に出てくる登場人物のような下品な関西弁だったなぁ。

東京マラソンっていいよ

日曜は家族で東京マラソンを見た。毎年欠かさず見ているけれど、東京マラソンのおかげで私は走る趣味を見つけた。びゅんびゅん走っているランナーがカッコよかったからだ。肉体と精神を鍛錬させている人は素敵だ。それと、フルマラソンに参加している人から出ているポジティブなオーラが心地よい。生き方に後ろ向きな人や人生あきらめている人は、こんなイベントに応募しないような気がする。

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それと応援するって気持ち良い!「がんばれあべさーん!(のコスプレの人)」「マイケル―(ジャクソンなコスプレの人)!」と声をかけると、片手を上げたり「がんばります!」と応えてくれる。なんか刹那的な高揚感。フェスで夜通し踊ったあと、知らない人とハイタッチするのような(そんなことしたことないけどw)。「がんばれ」って言葉ってなかなか使う機会がないから、口に出すだけでうれしいんだよね。「がんばれ」って、どうしても上から目線かつ、おおきなお世話的なニュアンスがあるから(世の中息苦しいのー)。でも、この日だけは解禁! 世知辛い世の中、ほぼ禁止用語になっている「がんばれ」を堂々と使用できます!

私もいつか声援を浴びながら東京の公道を走りたい。「美人の応援は励みになります」って書かれたTシャツ着ていた人がいて笑ったけど、私もこれくらい気の利いたパフォーマンスがしたいな。

 

恋は遠い日の花火でよいのだ

いい年して「恋がしたい」というと、世間からアホだと思われる(ということを私は知っている)。数年前、ママ友との飲み会をしたとき、「はー恋がしたい」「夫とはセックスしてもキスはしない」「誇り高き嬢かよw」と、ゲストークが始まった。そこで「あははー!でも今更どうでもいいよねっ!」とかで終わってればよかったんだけど、酔いが回った私は、しつこくこの話を継続しようとしたようだ。「ああ!もう1回でいいからときめきたい!」「このままじゃ死ねん!」とヒートアップしだしたとき「娘ちゃんがかわいそうだよ~」とやんわり諭され、不完全燃焼のままこの話は終わった。みんな表面的に話合わせてくれていただけで、私だけがノリノリだったという(後日この出来事を反芻し「うわー!」とデカめの独り言をいうハメになるという)。だから、私はコミュニケーションが嫌いなのだ。「コミュニケーション=自分がADHD(ズレズレ)なことを目の当たりにして恥をかく」の図式ができているから。君子危うきに近寄らず!娘の名誉のためにも、ママ会は極力控えねば。

それはさておき、なぜ私が恋をしたいと思っていたのか(今はそこまで思わない)、そしてなぜ、恋をするという行為がばかげて見えるのか考えてみた。

自分の場合、恋は「相手を愛すること」ではなく「限りなく自分を愛する」行為だったように思える。恋愛していた頃は、自分と相手との共通項(音楽、本、家庭環境)が見つけて喜ぶ傾向にあった。「この人自分に似てる!!!」と、相手を愛おしく思うと同時に、自分が今までの人生経験で得たセンスや思想が丸ごと肯定された気になるのだ。仕事、勉強、自分磨き、「そんなの小手先テクじゃわい!」てな感じでぜーーんぶすっ飛ばして「自分イケてる!」という無双状態になれるのだ。でもこんなのはコカインみたいなもんで、一瞬だけのスーパーハイ。そしてそのうち、同一視していたはずの相手が「自分と違う人間」ということに気づいてしまい、恋が終わる。バレンタイン前夜に、夜通しガトーショコラ作って長文の手紙を添えるみたいな、生産性のなさ、そしてその恋が終わるむなしさ。大人のみんなは知っているのではないだろうか。だからみんな「恋はもういいや」と表明するんだと思う。

愛(結婚と仮定する)は、地味だけどものすごく努力が大変で、子供なんか作った日には、バイトみたいに途中で投げ出せない。婚姻関係は雇用関係でいう正社員なのだ。だからまともな大人(社会人)は、既婚者で「恋が~」とかいっている人間は、「草であったまりてぇ」とか実名SNSでつぶやくバカ学生と同じレベルに見えるのだ。最近このことに私は気づき「恋が!恋が!恋が!」と、人前で言わなくなったし、思わなくなった。あと、恋が与える自己肯定感なんて嘘っぱちだったなと思い出したから。きっと恋がしたかった私は、あれこれすっ飛ばしての万能感をもう一度が味わいたかったんだと思う。セックスにはちょっぴり未練があるけどね~。

 

親の恋愛(浮気)は嫌かどうか

今日松田龍平太田莉菜が離婚秒読みだという報道が出た。しかも奥さんのほうに新しい男ができて7歳の娘を姑に預けて出てったという。ふう。下世話な話で興奮する。彼女がどんな人か知らないが、画像を見ただけでも、コケティッシュで垢抜けてて、モテオーラ全開なことがわかる。ネットでは奥さんが叩かれていたが、こういう人が恋愛しなかったら、誰が恋愛するというのだろう。そういえば、森田剛宮沢りえが温泉で旅行をしてたという報道が出たときも、「子供はどうした!」と、宮沢りえだけが叩かれていた。お互い独身なのに。宮沢りえが男に抱かれなくて、あの美しさが維持できるわけない。実際のところ、本当に娘は傷ついているのだろうか。そもそも親が恋愛すると、子供はかわいそうなのだろうか。私は違うと思う。

私の父親はよく浮気していた。子供時代、そんな父を「けがらわしい!」とも、母を「かわいそう!」とも思わなかった。「どっちもどっちやろ」とだけ、思っていた。普段がいいお父さんだったら、憎んだり悲しんだりしたのだろうか。うちの親は夫婦仲が険悪だったし、お互いが歩み寄る努力が全く見えなかった。子供にも分かる。「お父さんとお母さんは努力が足りない、消化試合(私の育児が終わるまで)をこなすだけみたいな毎日。クソみたいな夫婦だな」と。お母さんはいつも不機嫌で、お父さんは外ではチヤホヤされるから、いつも外ばかり見ていた。私はそんな母がうっとうしく、父のことを尊敬できなかった。

私は両親が家族のために夫婦を再建する努力を見たことがない。子供の心を傷つけるのはまさにこれ。子供は「親の恋愛(浮気)」よりも、家族円満を成就する努力を放棄している姿を見せられると、本当に根深く傷つく。父が浮気したら、母には怒り狂ってほしかった。浮気がバレた父は、慌ててほしかった。ぶつかり合ってほしかった。できれば仲直りしてほしかった。再建は無理だと見こんだら即別れてほしかった。私に甘えて、露骨に夫婦仲が悪いところを見せないでほしかった。生き方を見せてほしい。私のせいにしないでほしい。(でも私も、この ‘親のせいにする’ 世界観からいつか抜け出さなければならない)

要は、親がきちんと子供に愛情をかけていたら、子供にとって「親の浮気や恋愛」「離婚」なぞ、たいした問題ではないのだ。だから太田莉奈や宮沢りえが「母親として落伍者」なのかどうかは子供にしかわからない。ただm芸能界ウォッチャーの私がいうのもなんだが、外野がぐだぐだ倫理観を押し付けるのは大きなお世話だと思う。

ゲスの川谷くんはモテるにつきる

今日ひさびさに「ゲスの極み乙女」の「猟奇的なキスを私にして」を聞いた。川谷くんは、女心とダメ男の心理描写がうますぎる(とくに彼は、メンヘラの女心を書く才能に満ちている)。長渕剛浜田省吾福山雅治同様、女心を書くのがうまい男が、女にモテないわけがない! まして、ベッキーみたいな「世間を欺いているなんちゃって優等生」なんてイチコロでしょう。そもそもこの二人、恋愛偏差値にも圧倒的な差がありますから。主観ですが、ベッキーは、蒼井優の百分の一もモテないでしょうね。

小中学校から思春期にかけて恋愛強者だった人間の「恋愛におけるアドバンテージ」は圧倒的なものがあると思います。弱者側の人間が、社会人から取り返そうと思ってもなかなか難しい。おそらく川谷くんはずーーーーっとモテてきたでしょうね。きっと14歳くらいに童貞捨ててます。近所の謎めいた美人未亡人に「ここのバラは毎年きれいに咲きますね」なんて、声をかけ、そのまま童貞奪われた、そんな感じじゃないでしょうか。社会人から名刺の力でモテてる人、学生からモテてきた(恋愛経験豊富)の人は、放っているオーラが全然違います。近年、年収が低い男は結婚できないとよくいいますが、私の周りでは恋愛強者だった男は、金はなくとも結婚してますし、結婚してなくとも、まず女には困ってませんね。今でも魅力的です。思春期に恋愛コンプレックスでねじれていないから、自己肯定感が高く、それが余裕に繋がっているのだと思います。ゲス不倫の話に戻します。

昨年は、ベッキーと「ゲスの極み乙女」の川谷さんが不倫騒動で大賑わいでした。私ももれなく既女らしく、スマホでふたりの記事を逐一チェックしてました。あんなバカップル炸裂の生々しいLINEなんてそうそう見れないですもの。社内不倫を見つけてしまった勘のいいベテラン女性社員のような楽しさがありました。あのLINE流出は、個人的にはセックス動画流出より恥、かつ、人を興奮させます。たとえば、私と夫のセックス動画があっても、あけすけかつ、ライオンの交尾シーンくらいさっぱりしていますから誰も興奮しないと思います。

 

流出LINEの一部。「せーの」からの「おやすみ」は、グッとくる。

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要は何が言いたいかというと、川谷くんは、世間にはボロカス言われてましたけど、私は全然嫌いになれませんでした。まーこれくらい肉食系かつ恋愛に夢中にならないい曲なんて書けんわなー、世間はうるさいのうと。ゴシップ的にはオモロイけど、別にかまわんやろと。日本の宝、大谷君を女子アナから守りたいんやったら、おんなじように、川谷にも自由に恋愛させたれやって話(理屈は同じなはず)。基本的には、アーティスト(ミュージシャン、役者、作家etc)には、悪いこともいいこともどんどん経験してインスピレーションを得てほしい。そしてその才能で、凡愚な私をガンガン楽しませてほしいです(ゴシップ的な意味ではなく)。