Kotobanoyukue

自分が何者か忘れぬように

mcバトル 観戦記1

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UMB東京予選2017@恵比寿リキッドルームに行ってきた。一人女でMCバトルを初観戦してきたので記録しておく


私はニワカのフリースタイルファンで、周回遅れも甚だしいのだか、夜な夜な、UMBや戦極のDVDを見ている。日に日に「会場で『うえーい』したい」「バトルを生で見たい」という欲望がつのるものの「若い子ばかりだろうな」「音源も大して知らないキッズ?てかオバさんが、一人観戦ってヤバいでしょ…」という自意識が勝っていた。

私はもともとクラブ遊びが好きだけど、子どもを産んでから1度しか行っていない(しかも昼イベント)。あとは子供を連れての代々木のフリーイベントくらい。その理由に「クラブは、ニワカ、太っている人は行ってはいけない」というレペゼン田舎者らしい信条があったからだ。また、夜遊びという“現場”から長年離れてる自分がノコノコいって、シーンが壊してはならないという真面目な気持ちもあった。クラブとライブハウスで行われるMCバトルは別物かもしれないが、とにかくいろんな意味で「浮く」のはツライと思った。

しかし最近読んだ、湯山玲子「四十路越え」で、湯山さんが39歳にしてクラブデューを果たしたことに触発され、「よし行こう!」という気になった。興味本位の枠を超え、しっかり「クラブカルチャー論」の本まで出している湯山さんのような先駆者がいることに励まされたのだ。やりたいことやればいいかなって。私は彼女のような音楽の基礎教養はないし、文章もうまくないけれど、「私でも大丈夫だったよ!」というレポができればと思う。

恵比寿駅は冷たい雨がぽつぽつ降っていた。会場の時間まであと5分だが、恵比寿横町を通り過ぎることはできず、レモンサワーを2杯飲んで会場に向かった。チケットとワンドリンクのお金を払い、1時間遅れでいざ入場。

たしかに会場にいる子は若い。若いけど違和感。思ったより、キャッキャしていないのだ。ヒップホップシーン特有のものかも知れないけど、moel53 みたいなすさんでいる陰キャ系が多い印象。田舎でチアリーディングやっている私の姪っ子のほうが100倍弾けている。

<ラウンジで見た人たち>
・キャップ、ラージサイズのパーカー、腰ばきジーンズの20歳前後男子。
・ラウンジ中央で立ち話をする、いかにもなクリエイター系の30~40代集団(よく見たらMC正社員と八文字の姿も)
・大学院生っぽいふっつーのカップル。女子はボブ、白ニット黒スカートで、ポシェット。男はジーンズネルシャツ、メガネ。
・上下ジャージ姿の茶髪のやんちゃ系男子集団。電車乗り継いできた感じ。
・パーカーに薄汚いジーンズ、負のオーラを放つ低身長陰キャ系Bboy(実はバトラーだったりする)
・男女混合で来て、ソファを陣取るリア充っぽい大学生たち。

うん、大丈夫!思ったよりオラオラしてる人も、バーバルみたいなオシャレパーティーピープルもいない! 安心した私はバーカウンターでビールをゲットし、総当たり表を眺めて人気MCの出番を確認しつつ、そそくさと会場に向かった。

続く

発達障害児の言葉を意訳してみた

この前NHK発達障害児をもつママのお悩み座談会のような番組をやっていた。
「そうなの~わかるわかる」と私がうなずいたのは、ママたちではなく当事者(発達障害児)の声だった。

彼らは幼いので、自分の気持ちを人にうまく説明できないし、大人に「理解されないこと」に慣れている。また、これまでの経験から、自分がいわゆる「大人受けしない」子どもであることは理解しているので、自分に自信がない。無条件に人に受け入れられる経験が不足しているので、ついつい突っ張ったような物言いをしてしまう。

ここで、発達障害児「あるある」ワードから、私なりに意訳いたします
(異論は認めます)。


・「イヤだ!」「したくない!」

→(意訳)

感情のマグマが爆発して戸惑っている。
人に説明なんてしている余裕はない。
被害者はお母さんじゃなくて、この私。
そこんとこはっきりさせてから出直せ。

詰問されると、余計に答えたくなる。
暴れてやる。困らせてやる。
でも本当は制御不能の自分を受け止めて欲しい。


・「知らない!」「わからない!」

→(意訳)

自分の気持ちがいいたくない。
思いはあるけど、うまく言葉にできないし。
どうせわかってくれないし、もしわかってもらえなかったらもっと傷つく。
それに私の思いは複雑だから、表面的なことしか見ない大人なんかに理解されてたまるか。
自分の思い通りに私を操作したいだけのくせに、
偽善者ヅラして近づいてくんな。
私の庭に土足で入ってくんな。


私の場合はこんな感じです。

変に頭でっかちな大人に囲まれて、現代の発達障害児は日々、強いストレスに晒されているように思いました。発達障害は先天性なものだけど、番組を見ていると、親や周囲がごちゃごちゃ干渉すること(「健常児らしくあれ」という洗脳教育)で、二次障害をこじらせやすくなっているかもしれません。無関心はNGですけど、間違った関わり方は、余計本人をつらくしているように思います。

でも世知がらさMAXのこの日本で、特殊なスキルがない限りは、定型にある程度アジャストする必要はあるでしょうね。でも、人と付き合う「スキル」を身につけて実践することと、「自分が自分らしくいること」、バランスが難しい。余談ですけど、今日自宅のポストに「発達障害児向けの幼児教室」の案内チラシが入っていた。料金が書いていなかったけど、きっと高額なんでしょうねえ。うーむ。

初めて痩身エステをした話

先日、ホットペッパーの安いクーポンを使って、生まれて初めて本格的痩身エステ体験した。結果的にとても良かったので、肥満が気になる人にはぜひおすすめしたい。

自意識な私は、そもそも人に体を見られるのが苦手。同性と温泉に入れないタイプ。だけど、日常的に体調が悪いので、人に体をケアしてもらうことに抵抗がなくなってきた。鍼灸、足ツボ、リラクゼーションエステ(背面)は定期的にいく。ただ腹肉を見せることだけは死守していた。

でもウエストが太いと服が似合わない。ハイウエストのタイトスカートでシャツをインしたい。走ってもヨガしてもファスティングしても、腹の脂肪だけは取れなくて、ついにマシン系痩身エステの門を叩いた。

エステやマッサージ店はたいていそうだが、痩身エステ店も、汚い雑居ビルだった。エレベータに乗り合わせた南米系のお兄さんにビビリながら、がっこんがっこん鳴るエレベーターにのりこんだ。出迎えた担当者はハイテンションだった。美容系の店はたいてい、みんなハイテンションだ。

個人情報を紙に書かされ、いざ施術!の前に、体重測定と写真撮影(紙パンツ・紙ブラ着用)があるという。体重測定はギリギリ可だけど、下着姿の写真とかマジ無理!と思ったが、初回クーポン野郎かつ、アラフォーにもなって恥じらう姿を見せるのが恥で了承した。犯罪者のように正面、側面、背面とバシバシ写真を撮られる。「施術後お見せしますね♪」と。

施術中しゃべり続ける店員。あれこれマシンで全身をこねくり回され終了。再び体重測定。体重0.2kg減、体脂肪0.5%マイナス(笑)。「体のラインが変わってます!」と店員さんに励まされ、今回のメインイベント写真公開が近づく。

「こちらが○○さんのお写真となります」。雑食好きの男性でも、全力で萎えそうな写真が3枚。雑誌によく見る痩身ビフォーアフターのビフォーがそこにあった。

ポーカーフェイスを装おうものの「脳内まあまあイケてる自分像」が音を立てて崩れる。「現実を見ることがスタートなんですよ!」真っ向から正論をぶつける店員。その後、長々とチケットの紹介があったが、私は半ば放心状態で、もちろん契約はせず、エステ店をあとにした。ちなみに40万のプラン勧められたw  
痩身エステ店、いろいろな意味でドSな場所だ。

自転車に乗り込み、家に向かいながら思った。「きれいになりたい」という気持ちより「きれいは思ったより遠いな」と。たかだか数千円でいい体験させてもらいました。

刺青のはなし

世の中、やたらと刺青が叩かれるが、私は自分の生きるスタンスを示すひとつの方法として刺青入れることは肯定している。体に墨を入れる=カタギな生き方との決別なので、己というものをよくわかっている。己がわかった上で刺青入れる人は10人に1人くらいだろうけど。


刺青叩きの根源は嫉妬だと思う。自分は我慢して生きているのに好き勝手やるやつが気にくわない。自分の生き方の方が合ってる!と、マウントすることでの歪んだ自己肯定。いつか後悔するぞ(いや、するべきだ)と、呪いの言葉。ストレス溜まってるんですね、ってかんじ。たしかに刺青を威嚇に利用する人はダサいけど、スタンスでほってる人は隠すとこで隠す。


そういえば今年の夏、家族といった地方の市民祭り。刺青入れた親がたくさんいたな。あれはないわ。しかもダッセータトゥー。自称アウトローが市民祭りで焼きとうもろこし食べながら、ガキの手を引いて墨晒してんじゃないよ。せめてまともな彫り師に頼んでください。スタンスがダサい。


私は年に2回は温泉に入りたい、銭湯は月1で行きたい。子供とプールにも行きたい。会社の健康診断で見られたら困る。こんな奴は体に墨は入れる資格なし。素敵な彫り師を見つける人脈もなし。カタギの世界にツバ吐きながらも、未練タラタラなアウトローの世界。刺青は永遠の片思い。



女はアングラ道を走れない理由2

男性にしか使えない言葉に「風来坊」とか「無頼漢」ある。男にはダメ人間のことを、なんとなくカッコよく表現できる呼び名があってうらやましい。私の親戚にも「あの人は本当に仕方ないんだから~」的キャラのおじさんがいた。身内には死ぬほど憎まれてたけど、そのほかでは意外に愛されキャラだったりもする。太宰治も酒と薬に溺れたどうしようもないダメ人間だったけど、常に一緒に破滅してくれる女がそばにいた。何も太宰治ほどイケメンでなくとも、ダメ男は一定のニーズがある。理念としてダメ人間を貫き「これがオレのスタイル!」と言い切っちゃえば、むしろサマに見える。(あのビッグダディですらニーズがある)。でもこのスタイル、女性は難しい。ビッチな私、超ドープっしょ?!では誰もアガラない。

女性は力が弱く(イザというとき自分の身を守れない・なめられる)、意志と関係なく妊娠するのが弱みか。

女に生まれると、中身がクズでも「輩」にはなれない。豊田真由子様ほどの権力者でもない限り。

愛されダメ人間は最強。

女性には残念ながらそのジャンルはないようだ。私は男に生まれたかった。ボーントゥービークズな自分を全うしたかった。女のクズは孤独なのである。

女はアングラ道を走れない理由

「こじらせ女子」という秀逸な言葉を生み出した雨宮まみの本を最近始めて読んだ。私自身はなんとたく女であることを楽しみ謳歌しているタイプかなーと思っていたけど、やっぱり女はしんどいよなと改めて認識。若くない女はもっとしんどいよなと。

小島慶子あたりもよくいっているけど、日本では「女」は若いことが絶対的正義であり、「若さ」のない女は「女」ではない。別の生物となるので、それを自分自身で定義しなければいけない。

たとえば

「既婚子持ちの輝くワーキングマザー」
「稼ぐ夫をもつお気楽専業主婦(あくまで他者から見て)」
「独身で仕事に邁進するキャリア第一女子」
「ゆるゆるお一人者生活を謳歌するほっこり女子」。

女は常に周囲の人間から「で、あんたはいったい何者なの?」と、無言の詰めがある。若いうちは「若さ」という超・超客観的な記号があるので説明不要。女は30を過ぎたら、真実はどうであれ、他者を納得をさせる説明責任が生じるのだ。「ああ、あなたはこういう人なんですね」って。

この「相手の安心感のために自分の記号を提供しなければならない感」、男性にはわからないと思う。記号を提示せずにいると周りからあれこれいらぬ勘ぐりを受ける。派遣なのに毎日外でランチして金回りがいいのはなんで?とか、優しすぎる性格はなんかやましいことがあるから?宗教?とか。男性は「ああ、あの人、変人だから」(終了)で済ませられるのにね。不公平だ。


私は既婚&子持ちなので、周りを納得させる上っ面のストーリーをもっている。はっきりいってこれはめちゃくちゃ楽チンなのである。でもその一面、窮屈でもある。ひと昔前、女は結婚したら「○○ちゃんのママ」と呼ばれるので寂しいという話があった。これと根っこは同じなのかもしれない。

結局呼び名がいくつかあろうとも、私は「女」としてのキーワードがある限り、仕事があろうが、専業主婦であろうが、士業であろうが、誰かさんの想定にズレた言動があれば、石を投げられると思っている。石投げられたこともあるし。

雨宮まみさんは「女であること」と、「自分らしく生きること」のバランスがうまくとれずに、苦しんだ人だと思う。雨宮さんほどの実績があっても苦しいのだ。そういえばオノヨーコも女であることに苦しんだという。これは女特有の被害妄想ではないと思う。表舞台に決してでない私でもしんどい。見えない敵と戦っている。

記号らしくない生き方をするには、相手を力でねじふせるか、あれこれわれても意に関せず!のスタイルを貫くしかない。どうして自分らしく生きたいだけなのにこんなにしんどいのだろうね。


続く

ぶちまけすぎる癖をやめる

人に自分の素性を明かしたあと、人間関係がぎくしゃくする経験を私は何回も経験した。私はあけすけに何でも話すたちなので嫌悪感を持つ人が多いが、たまにウケることがある。


私の考え方の根本は、ネガティブかつ攻撃的なので、一種の刺激物としては受け入れらたりウケたりする。でも、その場で何がを分かち合えたところで人間関係が続かない。心の醜いところを見せあったヒトとは相性次第で急激に距離を縮めるが、そのあとしりつぼみの傾向。


心根がダークネスな人間は長期的にはウケない。私の口から出る話は気持ちの良い話ではないし、性根が下卑てるとバレているので、なおかつ嫌悪感もつのられているような気がする。なんならこいつ、自分の悪口も平気で言いそうだと思われているんじゃないかと(私の妄想)


 実際突発に弱く、下手にサービス精神が旺盛かつ自己アピールが強いので、ついつい口も滑らす。たしかに私は人の信用を得られる人物でさたい。 私にネガティヴな印象を持った人の危惧が、そこまで的外れではないことがとても悲しい。