Kotobanoyukue

自分が何者か忘れぬように

初めて痩身エステをした話

先日、ホットペッパーの安いクーポンを使って、生まれて初めて本格的痩身エステ体験した。結果的にとても良かったので、肥満が気になる人にはぜひおすすめしたい。

自意識な私は、そもそも人に体を見られるのが苦手。同性と温泉に入れないタイプ。だけど、日常的に体調が悪いので、人に体をケアしてもらうことに抵抗がなくなってきた。鍼灸、足ツボ、リラクゼーションエステ(背面)は定期的にいく。ただ腹肉を見せることだけは死守していた。

でもウエストが太いと服が似合わない。ハイウエストのタイトスカートでシャツをインしたい。走ってもヨガしてもファスティングしても、腹の脂肪だけは取れなくて、ついにマシン系痩身エステの門を叩いた。

エステやマッサージ店はたいていそうだが、痩身エステ店も、汚い雑居ビルだった。エレベータに乗り合わせた南米系のお兄さんにビビリながら、がっこんがっこん鳴るエレベーターにのりこんだ。出迎えた担当者はハイテンションだった。美容系の店はたいてい、みんなハイテンションだ。

個人情報を紙に書かされ、いざ施術!の前に、体重測定と写真撮影(紙パンツ・紙ブラ着用)があるという。体重測定はギリギリ可だけど、下着姿の写真とかマジ無理!と思ったが、初回クーポン野郎かつ、アラフォーにもなって恥じらう姿を見せるのが恥で了承した。犯罪者のように正面、側面、背面とバシバシ写真を撮られる。「施術後お見せしますね♪」と。

施術中しゃべり続ける店員。あれこれマシンで全身をこねくり回され終了。再び体重測定。体重0.2kg減、体脂肪0.5%マイナス(笑)。「体のラインが変わってます!」と店員さんに励まされ、今回のメインイベント写真公開が近づく。

「こちらが○○さんのお写真となります」。雑食好きの男性でも、全力で萎えそうな写真が3枚。雑誌によく見る痩身ビフォーアフターのビフォーがそこにあった。

ポーカーフェイスを装おうものの「脳内まあまあイケてる自分像」が音を立てて崩れる。「現実を見ることがスタートなんですよ!」真っ向から正論をぶつける店員。その後、長々とチケットの紹介があったが、私は半ば放心状態で、もちろん契約はせず、エステ店をあとにした。ちなみに40万のプラン勧められたw  
痩身エステ店、いろいろな意味でドSな場所だ。

自転車に乗り込み、家に向かいながら思った。「きれいになりたい」という気持ちより「きれいは思ったより遠いな」と。たかだか数千円でいい体験させてもらいました。

刺青のはなし

世の中、やたらと刺青が叩かれるが、私は自分の生きるスタンスを示すひとつの方法として刺青入れることは肯定している。体に墨を入れる=カタギな生き方との決別なので、己というものをよくわかっている。己がわかった上で刺青入れる人は10人に1人くらいだろうけど。


刺青叩きの根源は嫉妬だと思う。自分は我慢して生きているのに好き勝手やるやつが気にくわない。自分の生き方の方が合ってる!と、マウントすることでの歪んだ自己肯定。いつか後悔するぞ(いや、するべきだ)と、呪いの言葉。ストレス溜まってるんですね、ってかんじ。たしかに刺青を威嚇に利用する人はダサいけど、スタンスでほってる人は隠すとこで隠す。


そういえば今年の夏、家族といった地方の市民祭り。刺青入れた親がたくさんいたな。あれはないわ。しかもダッセータトゥー。自称アウトローが市民祭りで焼きとうもろこし食べながら、ガキの手を引いて墨晒してんじゃないよ。せめてまともな彫り師に頼んでください。スタンスがダサい。


私は年に2回は温泉に入りたい、銭湯は月1で行きたい。子供とプールにも行きたい。会社の健康診断で見られたら困る。こんな奴は体に墨は入れる資格なし。素敵な彫り師を見つける人脈もなし。カタギの世界にツバ吐きながらも、未練タラタラなアウトローの世界。刺青は永遠の片思い。



女はアングラ道を走れない理由2

男性にしか使えない言葉に「風来坊」とか「無頼漢」ある。男にはダメ人間のことを、なんとなくカッコよく表現できる呼び名があってうらやましい。私の親戚にも「あの人は本当に仕方ないんだから~」的キャラのおじさんがいた。身内には死ぬほど憎まれてたけど、そのほかでは意外に愛されキャラだったりもする。太宰治も酒と薬に溺れたどうしようもないダメ人間だったけど、常に一緒に破滅してくれる女がそばにいた。何も太宰治ほどイケメンでなくとも、ダメ男は一定のニーズがある。理念としてダメ人間を貫き「これがオレのスタイル!」と言い切っちゃえば、むしろサマに見える。(あのビッグダディですらニーズがある)。でもこのスタイル、女性は難しい。ビッチな私、超ドープっしょ?!では誰もアガラない。

女性は力が弱く(イザというとき自分の身を守れない・なめられる)、意志と関係なく妊娠するのが弱みか。

女に生まれると、中身がクズでも「輩」にはなれない。豊田真由子様ほどの権力者でもない限り。

愛されダメ人間は最強。

女性には残念ながらそのジャンルはないようだ。私は男に生まれたかった。ボーントゥービークズな自分を全うしたかった。女のクズは孤独なのである。

女はアングラ道を走れない理由

「こじらせ女子」という秀逸な言葉を生み出した雨宮まみの本を最近始めて読んだ。私自身はなんとたく女であることを楽しみ謳歌しているタイプかなーと思っていたけど、やっぱり女はしんどいよなと改めて認識。若くない女はもっとしんどいよなと。

小島慶子あたりもよくいっているけど、日本では「女」は若いことが絶対的正義であり、「若さ」のない女は「女」ではない。別の生物となるので、それを自分自身で定義しなければいけない。

たとえば

「既婚子持ちの輝くワーキングマザー」
「稼ぐ夫をもつお気楽専業主婦(あくまで他者から見て)」
「独身で仕事に邁進するキャリア第一女子」
「ゆるゆるお一人者生活を謳歌するほっこり女子」。

女は常に周囲の人間から「で、あんたはいったい何者なの?」と、無言の詰めがある。若いうちは「若さ」という超・超客観的な記号があるので説明不要。女は30を過ぎたら、真実はどうであれ、他者を納得をさせる説明責任が生じるのだ。「ああ、あなたはこういう人なんですね」って。

この「相手の安心感のために自分の記号を提供しなければならない感」、男性にはわからないと思う。記号を提示せずにいると周りからあれこれいらぬ勘ぐりを受ける。派遣なのに毎日外でランチして金回りがいいのはなんで?とか、優しすぎる性格はなんかやましいことがあるから?宗教?とか。男性は「ああ、あの人、変人だから」(終了)で済ませられるのにね。不公平だ。


私は既婚&子持ちなので、周りを納得させる上っ面のストーリーをもっている。はっきりいってこれはめちゃくちゃ楽チンなのである。でもその一面、窮屈でもある。ひと昔前、女は結婚したら「○○ちゃんのママ」と呼ばれるので寂しいという話があった。これと根っこは同じなのかもしれない。

結局呼び名がいくつかあろうとも、私は「女」としてのキーワードがある限り、仕事があろうが、専業主婦であろうが、士業であろうが、誰かさんの想定にズレた言動があれば、石を投げられると思っている。石投げられたこともあるし。

雨宮まみさんは「女であること」と、「自分らしく生きること」のバランスがうまくとれずに、苦しんだ人だと思う。雨宮さんほどの実績があっても苦しいのだ。そういえばオノヨーコも女であることに苦しんだという。これは女特有の被害妄想ではないと思う。表舞台に決してでない私でもしんどい。見えない敵と戦っている。

記号らしくない生き方をするには、相手を力でねじふせるか、あれこれわれても意に関せず!のスタイルを貫くしかない。どうして自分らしく生きたいだけなのにこんなにしんどいのだろうね。


続く

ぶちまけすぎる癖をやめる

人に自分の素性を明かしたあと、人間関係がぎくしゃくする経験を私は何回も経験した。私はあけすけに何でも話すたちなので嫌悪感を持つ人が多いが、たまにウケることがある。


私の考え方の根本は、ネガティブかつ攻撃的なので、一種の刺激物としては受け入れらたりウケたりする。でも、その場で何がを分かち合えたところで人間関係が続かない。心の醜いところを見せあったヒトとは相性次第で急激に距離を縮めるが、そのあとしりつぼみの傾向。


心根がダークネスな人間は長期的にはウケない。私の口から出る話は気持ちの良い話ではないし、性根が下卑てるとバレているので、なおかつ嫌悪感もつのられているような気がする。なんならこいつ、自分の悪口も平気で言いそうだと思われているんじゃないかと(私の妄想)


 実際突発に弱く、下手にサービス精神が旺盛かつ自己アピールが強いので、ついつい口も滑らす。たしかに私は人の信用を得られる人物でさたい。 私にネガティヴな印象を持った人の危惧が、そこまで的外れではないことがとても悲しい。



人身事故で亡くなった人を思ふ

私が毎日利用する最寄り駅で人身事故があった。非常に感慨深い。死にたいと日々考えてるのは自分だけじゃない。それどころか、同じ駅を利用していたんだなと。すれ違ったり、肩ぶつかったりしてたのかも。インターネット黎明期の「ご近所さんを探せ」を思い出す。近くに住む知らない人と繋がれたときのような新鮮なときめき。


都会で生きることはアノニマスで生きられるということ。満員電車は息苦しいほどアノニマスたちの怒りで充満している。ほとんど殺意といっても良い。普段は気づかないけど、ぶつかりざまに暴言吐かれたり、舌打ちされたりすることもある。そういうとき、生身の怒りに触れて、ハッとする。アノニマスも感情を持って生きているんだなって。


ちなみに子持ちの私ですら、ベビーカーを引いた人には、時折チッとなる。しかも神田うのが持ってるような外国製の馬鹿でかいベビーカーなら尚更。(高級ベビーカー持ちたいんなら電車に乗んな的な)もちろん無関心を装いけれど。中には遠慮なく憎しみの視線をベビーカーぶつけてるおっさんもいる。おっさんの欲求不満に満ちた暗い目を見ると、「醜い」と思うと同時に同じ穴のムジナの自分を恥じる。


アノニマスがふと見せる負の感情、人身事故の知らせ、私は1人じゃないと思う。みなそれぞれ背負い、自分のドラマを生きているんだなと。決して前向きな気持ちになるわけじゃないんだけど。

大人になって何者にもなれなかったと嘆かないために

またひとつ年を重ねてしまった。さすがのさすがに、そろそろ何者にもなれていないことを受け止めないと。キャリアウーマンにも、素敵な奥さんにもなれなかった。でもそもそも私は何になりたっかたんだろう。

私は20代のころ、腰掛け気分で仕事をしていた。今思えば甘い考えだけど、15年くらい前は、今ほどは専業主婦は甘い夢じゃなかった。私みたいな女いっぱいいた。

学生の頃、いや子どもの頃から、仕事人として人生まっとうしようなんて露ほども考えてなかった。「ズレてる」「おかしい」と子どもの頃から言われ続けているADHDの自分(診断は大人になってから)が、魑魅魍魎がはこびる会社という場所で、仕事を続けるのは無理ゲー、という確信だけはあった。

私の親は不労所得で生きる自由人。両親から「サラリーマン=自分にウソをついて生きる、罪悪感でいっぱいの人生」という洗脳をされていたような気もする。

その昔、新入社員として働いていた私は、毎日深夜まで働き、自転車操業みたいな日々を送っていた。当時の私は、こんな生活いつか終わると思っていた。30までに結婚して、子供産んで料理や庭いじりにいそしめる日がくると思っていた。(今の時代は、こんな夢を見る阿呆な女は、ほとんどおらんでしょう)。

でもこの夢はあっさり破れた。結婚して子どもを生んでも私は働き続けている。こんなはずじゃない!!!は、私の十八番。でももう恨み節はもうやめる。世の中は変化し続けている。私も変化をしなければならない。ダイエットは体重計に乗ることから始まる。現実を直視して策を練らなければいけない。

2017年9月現在、私は稼げるキャリアにもなれなかったし、家庭を切り盛りする主婦になる能力もなかった。それはいいとして、そのことをまだグダグダグダグダグダ言い続けているもはもう卒業する。今の私ができることは「今の自分から始めること」と、「自分の娘には二の舞をさせない」こと。

私が今からできること

○働けることに感謝しながら、今の会社で働くこと。
○エースになろうと思わないこと。
○自己主張はしても文句をいわないこと。

私の人生の反省から、後世(娘)に伝えたいこと。

○人は一生仕事をしなければいけないこと。
自己実現にとらわれない事。
○人に貢献することが、自分の喜びに繋がるのだということ。